平頂山事件資料館
井上中尉の妻の自殺
撫順には、独立守備隊第二大隊第二中隊(撫順守備隊)が駐留していた。当時、撫順守備隊の隊長は川上精一大尉、その下に井上清一中尉らがいた。
井上中尉婦人は、1931(昭和6)年12月12日、「満洲」へ出征した夫に後顧の憂いなくご奉公するようにとの遺書を残し、白装束で自害したことで有名だ。当時、戦時婦人の典型であるとして評判になった。
『大阪毎日新聞』 1931年12月14日
渡満の良人励まして
井上中尉婦人自刄
武人の妻の健気なる最期!
中尉従容、大阪を発す
湧き返る万歳と感激の嵐のうちに十参日朝大阪駅を出発した第四師団渡満部隊のはなゞしい門出の背後には聖らけき「死の餞別」をもつて出動せんとする夫を激励した壮烈な中尉婦人自刄の悲話がかたく秘められていた――
この悲劇のヒロインこそは歩兵第卅七連隊附中尉井上清一氏(29)の夫人千代子さん(21)で、派遣部隊出発の前日の十二日午後死出を飾る身嗜みの薄化粧もつゝましく盛装のまゝ見事短刀で顎動脈を掻き切り従容たる武人の妻としての最後を遂げ、出動の夫中尉の後顧の憂ひを断つた、しかも台所には中尉の門出を中尉の門出を祝ふ赤飯、かち栗、鯛が調へられているなど万人の胸を打つ哀しくもまたうるはしい女性の心づくし、井上中尉は涙をのんで一切の私情を胸に秘め十参日部隊とともに従容満洲へ向かつたのである
黒紋附、裾模様の
盛装した夫人
夫秘藏の短刀で一突き
うす化粧までして
自刄した千代子夫人
大阪第四師団歩兵第州七連隊勤務の井上清一中尉(ニ九)が同隊眞向ひの歩兵第八連隊で渡満衛生部隊の用務を済ませ十二日午後四時ごろ大阪住吉区昭和町西一ノ一五の自宅に帰ると表格子戸に「井上は終日連隊に在り、御用の方はその方に」といふ意味の夫人筆跡の貼紙を気にしながら玄関に入るや怪しい喘音の一声を聞いて驚き奥座敷に入つたところ、夫人は奥六畳の間で白鞘の短刀を片手に堅く握り締めたまゝ仰向けとなり鮮血に塗れて絶命しているのを発見したので直連隊に急報した、自刄した夫人は黒縮緬牡丹と七草の裾模様の紋附に白羽二重、白襟の長じゆばん、朱珍の丸帯、新しい白絹足袋の盛装を凝らし頭髪は七参に分け薄化粧をさへして従容として死につき室内には白木綿を一面に敷き、座布団に端坐し中尉が秘蔵の刄渡り一尺二寸の白鞘の短刀で左頸部を一刀のもとに突き刺し頸動脈を切断していたもので室内机上に別項の如き夫中尉あてのペン書きの遺書と、中尉の父君および實父永井眞時氏(大阪府泉南郡長瀧村泉永織布工場主)にあてた鉛筆書きの遺書合せて参通が置かれてあつた
中尉からの報に同連隊では渡満に差支へなき範囲で中尉の出発を一時延期せしめ後事の整理を勧めたが同中尉は私事のため躊躇すべきではなく、また死せる妻の意思にも反するものとして上官、同僚の温き言葉を感謝しつゝも十参日出征部隊の小隊長として雄々しく出発したのであつた
門出を祝ふ
馳走まで
用意してから
阪部少尉談
井上中尉の親友で同隊附の阪部少尉は語る
十二日夜井上君からの電話で知りビツクリして駈けつけました、見事自殺した夫人の傍には鯛、勝栗、するめ、赤飯など主人の門出を祝ふ軍人の妻としての心尽しの料理がちやんと用意してありました、それに何といふ感激的な光景でせう、同夜おそく夫人の死を知らずに来合せた夫人の厳父が千代子さんの遺骸に涙一ツこぼさず「立派な姿で死んでくれた、これでわしの娘だ軍人の妻だ」といはれた時は私は男泣きに泣きました
夫を思ふその
こヽろ
阿部師団長談
夫を思ふその心は誠に同情に堪へない、井上中尉の出発を延ばさせてはといふ話も出たがそれは夫人に対する意思にそむくことになるのでみんなと一しよに出発させたが井上中尉の態度は質に立派であつた
夫、中尉語る
新婚以来の覚悟
多少予感はあつた
井上中尉は渡満部隊の第二小隊長である、けさ大歓呼におくられて大阪を発した列車中で、中尉は本社記者に語つた――
妻はやつたよ、短刀で右の頸を一とつきだ、短刀はわが家熏代の名刀、妻は盛装していたよ、去年九月結婚して以来常にいつていた――あなたが出征される場合が来たら私は死にます、後に心残りのないやうに――と、妻は今それをやつたのだ、可愛いやつだ、多少予感がないではなかつたが、まさかと思つてた性質はどちらかといへば少しのんきなくらい落ちつきのある女だが、いつたことは必ずキチンと實行した、實際よく私には尽してくれた、かうなつた上は、自分は妻の分まで、国のためうんと働いて来る
中尉は眼鏡の下に一ぱい涙をためた、それと気づかぬ駅々の万歳の大あらしの中を列車は西下した
写真キャプション
井上中尉、夫人の死に励まされ笑うて出発(けさ駅頭にて)
あつぱれな見送り
中尉の厳父談
井上中尉の質父は遺骸の枕元で涙ながらにかたる
千代子は軍人の妻として見事な「見送り」をしてくれました、これ以上は万感胸に迫つて何もいふことが出来ません
夫人の父語る
昨夜(十二日)すぐ来いとの電報を受けて取敢へず同夜八時ごろこちらに着きましたところ自刄していました、軍人の妻として恥しくない死を遂げていましたわが子ながらあつぱれな●と思ひます
将校団の手で
十五日葬儀
阿部野で執行
遺骸は今夜納棺、葬儀は第卅七連隊将校団の手で十五日午前十一時から阿部野新齋場で佛式により告別式を執行することに決定、當日は第卅七連隊の将校および夫人全部、下士官兵は差支へない限り参列することになつた
●家は泉南
自刄した井上中尉夫人千代子さんは大阪府泉南郡長瀧村一七五〇綿布製造業永井眞時氏の長女で昨年参月岸和田高女を卒業、同九月泉州ガス会社支配人黒川重一郎氏夫妻の媒酌で中尉に嫁いだのである
四十円封じた
夫人の遺書
あゝ、この心づくし
私しのご主人様
私し、嬉しくてゝ胸が一杯で御座居ます、何と御喜び申上げてよいやら明日の御出征に先立ち嬉しくこの世を去ります
何卒後の事を何一つ御心配ございますな、私しは及ばず乍ら皆様を御守り致しますから御国の御為に思ふ存分の働きを遊ばして下さい、願ふ所は只こればかりです貴下様の御蔭で私しは今日まで幸福に楽々と過させて頂きました、●[こ]の世は短かいものですが未来は永久に続くものと聞いて居ります、いづれは貴下様も未来の国へ御越し遊ばすので御座いますもの、幾年の後かは判りませんが私しは御待ち致して居ります、満洲は寒い所と聞いて居ります、只心配なのは貴下様は不断胃腸が強く御座いませんから冷なさい様にくれゝも御注意遊ばせ
封じました金四十円は彼地にいらつしやいます兵隊さん方へお分け致して下さい
御成功を御祈致して居ります
妻
御主人様
実父と井上家
の人々へ
遺書の内容
夫人が実父にあてた遺書には「井上はいよゝ明朝出征することになりました、私は後顧の憂がないやうに自殺して井上の身を守ります、先立つ不孝の罪をゆるして下さい」また井上家の人々に宛て「ながい間お世話になりました、私のやうな不つゝかものを実の娘のやうに可愛がつて頂きました御恩に対しお礼の申上げやうもありません」との意味がしたゝめてあつた