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平頂山事件資料館
フォトギャラリー
撫順の旅
撫順炭鉱。撫順は中国遼寧省東部の炭鉱及び鉱工業都市。人口は約222万人(2012年) | かつて満鉄が経営していた撫順炭鉱 |
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撫順炭鉱は、露天掘りが特色である | 撫順市の中心を流れる川-渾河。この川の両側に撫順の市街地が広がっている。 |
撫順の社交場であった旧炭鉱倶楽部。現在はホテル(煤都賓館)として使われている | 旧炭鉱倶楽部 煤都賓館のロビー。煤都賓館には、毛沢東をはじめ中国の要人の多くが宿泊している |
煤都賓館の前にあるマンホール。中心に南満州鉄道株式会社(満鉄)の社印が彫り込まれている | 撫順市を防備していた関東軍独立守備隊第二大隊第二中隊の旧兵舎跡地 |
関東軍独立守備隊第二大隊第二中隊の旧兵舎跡地。かつて複数の兵舎が廊下でつながれていたといわれている | 旧撫順炭鉱長宅。リットン調査団も立ち寄ったといわれている |
旧撫順炭鉱長宅の裏の扉 | 旧撫順炭鉱次長宅 炭鉱長宅に隣接 |
旧撫順炭鉱事務所。ここで平頂山の住民虐殺の謀議が行われた。 | 溥儀も収容されていた撫順戦犯管理所 |
戦犯が収容されていた部屋 | 撫順戦犯管理所の廊下 |
撫順戦犯管理所内の舞台 | 撫順戦犯管理所の地図 |
方素栄さんが戦犯らに体験を語った参観台 | 旧東七条小学校(現撫順第五十中学校) |
撫順平頂山惨案紀念館
平頂山集落の住民虐殺現場に隣接して、撫順平頂山惨案紀念館が建っている | 撫順平頂山惨案紀念館には、平頂山事件に関する資料が展示されている |
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撫順平頂山惨案紀念館の背後にある小高い丘の上に、平頂山殉難同胞紀念碑が建てられている。虐殺現場で遺体が焼かれたときにできた灰が、この紀念碑の基に埋められている | 発掘された虐殺現場の遺骨を保存するために、虐殺現場の上に建てられた平頂山惨案遺址紀念館 |
撫順平頂山惨案紀念館に隣接した公園(碑苑)に通じる道 | |
碑苑と書かれた石碑 | 碑苑の紹介 |
平頂山事件で奇跡的に生き延びた被害者(幸存者)の証言が記された石碑 | 幸存者楊宝山の証言が記された石碑 |
幸存者莫徳勝の証言が記された石碑 | 頂山事件を世界に配信した新聞記者エドワード・ハンターに関する石碑 |
碑苑に並ぶ石碑群 |
被害者らの横顔
日本の市民らと歓談する王質梅さん | 来日の際に弁護団と懇談する故莫徳勝さん |
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昆明で家族に囲まれて微笑む方素栄さん | 弁護団の聞き取り調査の際に首の傷跡を見せる方素栄さん |
弁護団の聞き取り調査の際に頭の傷跡を見せる方素栄さん | 方素栄さん経営のお店で出された方さんお手製の焼餃子 |
方素栄さんのお店の水餃子 | 弁護団と歓談する楊玉芬さん |
来日した際に市民と歓談する楊玉芬さん | 来日した際に市民と歓談する故楊宝山さん |
病気のお見舞いをうけ、歓談する故楊宝山さんと奥さん(自宅にて) |
裁判の経過
平頂山事件について日本の市民集会で証言する莫徳勝さん(1997年) | 東京地方裁判所での本人尋問のために来日した、楊宝山さん、方素栄さんの記者会見。右端は環直彌弁護団長(2000年) |
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東京地方裁判所判決日の入廷行進(2002年) 判決は日本軍による平頂山住民の虐殺の事実は認めたものの、国家無答責の法理を理由に原告の請求を棄却 | 平頂山事件弁護団と訴訟支援者による撫順での現地調査。平頂山集落の跡地や避難ルートを楊宝山さんとともにたどる(2003年) |
東京高等裁判所判決後の裁判報告集会(2005年)。控訴審でも、住民虐殺の事実は認めたものの、国家無答責の法理により控訴が棄却 | 原告らは直ちに上告。最高裁判所前で正義の判決を求める要請行動を行う。しかし、最高裁判所は、上告を棄却し、上告を受理しない決定を下す(2006年) |
日中市民の交流
日本人と交流する楊宝山(2007年) | 煤都賓館(撫順)で開催された第3回平頂山事件国際学術シンポジウム(2007年) 平頂山事件国際学術シンポジウムは、2005年から毎年、東京または撫順で開催。 |
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早稲田大学(東京)で開催された第6回平頂山事件国際学術シンポジウム(2010年) シンポジウムでは、平頂山事件を、歴史・国際人権・国際政治・市民運動などさまざまな視点から検討している | 幸存者楊玉芬さんが来日した際に、撫順戦犯管理所に収容されていた元日本兵高橋哲郎さんと対面(2010年・東京) |
撫順は平頂山事件という「加害の地」であるとともに、撫順戦犯管理所で日本の兵士が加害の事実に向き合うことで人間性を回復する一歩を踏み出した「再生の地」でもある。「加害と再生」という視点から未来を考えるシンポジウム「撫順-加害と再生の地から現代と未来を語る」で高橋哲哉さんと斉藤貴男さんが対談(2006年・東京) | 撫順市内のフィールドワークをした際に訪ねた関東軍独立守備隊第二大隊第二中隊の兵舎跡地(2007 年) |
王質梅さん来日の際に、パネルディスカッション「《撫順》加害と再生の地から現代と未来を考える」を開催(2008年・東京大学) | 日本の市民と撫順の大学生との交流(2009年・撫順) |
平和の誓いの証として撫順戦犯管理所の職員から元日本兵に託された朝顔の種。それを日本で育て平和の尊さを語り継いでいる体験を描いた絵本「赦しの花朝顔」を通して、平頂山事件を考える集いを開催(2010年・郡山・朝顔祭り) | 日本政府は平頂山事件の事実と責任を認め謝罪し、その証として謝罪の碑と陵苑を造り、二度と同じ過ちを繰り返さないように教訓を後の世代に伝えよ-幸存者らが求めているこれらの解決要求実現のため国会議員へ働きかけている(2011年・東京・院内集会) |
全国各地あらゆる場所に出向いて、平頂山事件の事実を伝え、幸存者らの解決要求実現のための支援を訴えている | 「撫順から未来を語る実行委員会」と中国の「撫順市社会科学連合会」共催企画『撫順の地から未来へ~日中市民交流の軌跡展~』(2012年・撫順) |
「撫順の地から未来へ~日中市民交流の軌跡展~」では、日本と撫順の市民間の相互理解・相互信頼を築き上げてきたこれまでの市民間の交流の軌跡を振り返るとともに、未来に向けて市民間の相互理解・相互信頼をさらに深めるために、交流の歴史をまとめたパネルを展示(2012年・撫順・撫順市図書館1階ホール) |
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